デイヴ・ブルーベック(Dave Brubeck)は、アメリカ・カリフォルニア州コンコード生まれ、アイオーネ育ちのジャズピアニストです。 クールジャズの第一人者とみなされているブルーベックの作品は、珍しい拍子記号と対照的なリズム、拍子、調性の重ね合わせが特徴です。
このページでは、デイヴ・ブルーベック(Dave Brubeck)の曲や録音が使われている映画を曲ごとに紹介していきます。
デイヴ・ブルーベック(Dave Brubeck)について
生年月日:1920年12月6日(アメリカ合衆国 カリフォルニア州 コンコード)
没年月日:2012年12月5日(91歳没)(アメリカ合衆国コネチカット州ノーウォーク)
活動期間:1940s–2012
デイヴ・ブルーベック(Dave Brubeck)は、アメリカ・カリフォルニア州コンコードで牧場主の父親とピアノストの母のもとに生まれました。母親のエリザベスは英国のピアニスト、マイラ・ヘス(Myra Hess)のもとでピアノを学んだ経験を持つピアノ教師で、デイヴ・ブルーベックも母からクラシック・ピアノを学びました。
1942年、大学を卒業したばかりのデイヴ・ブルーベックは、陸軍に徴兵されました。ヨーロッパではパットン将軍が指揮する部隊に配属されましたが、赤十字主催のショーでピアノを弾き、大盛況を収めたことで戦闘に参加することからは免れたそうです。そののち、米軍初の人種統合バンド「ウルフパック」を創設、ヨーロッパ戦線などで慰問活動し、4年間兵役を務め上げました。
除隊後はカリフォルニアに戻り、オークランドのミルズ大学の大学院で 「フランス6人組」の一人、作曲家ダリウス・ミヨー(Darius Milhaud)に師事しました。ミヨーはブルーベックに、クラシック・ピアノではなくフーガとオーケストレーションを学ぶよう勧めました。
ユダヤ人であったダリウス・ミヨーは1940年にアメリカ合衆国に逃れ、ミルズ大学で作曲を教えながら、サンフランシスコ交響楽団、シカゴ交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、ボストン交響楽団などで客演指揮を行っていました。
ブルーベックは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校でアルノルト・シェーンベルク(Arnold Schoenberg)からもレッスンを受けています。 しかし、シェーンベルクのアプローチや信念はブルーベックには受け入れがたいものであったことから、良好な関係は築かれなかったそうです。
「十二音技法」を創始したことで知られるオーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルクもナチス・ドイツから逃れて1934年にアメリカに移住しています。南カリフォルニア大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校にて教育活動を精力的に行い、弟子にはジョン・ケージやルー・ハリソンなどのアメリカ現代音楽を代表する作曲家も含まれています。
デイヴ・ブルーベック(Dave Brubeck)による録音が使われている映画
デイヴ・ブルーベック(Dave Brubeck)が発表した曲やカバーした録音の数々は、映画にも多くの影響を与えました。
映画で使われているデイヴ・ブルーベック(Dave Brubeck)の曲、もしくはデイヴ・ブルーベックによるカバーバージョンを紹介していきます。
(当サイトで取り上げた映画のみ掲載しています。随時追加中です。)
Take Five
Maria
Unsquare Dance
I Remember You
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