2025年にアメリカで制作された映画『ブルームーン』(原題:Blue Moon)は、ミュージカル『オクラホマ!』のオープニングナイト、NYのレストランで繰り広げられる人間模様を作詞家のロレンツ・ハートを中心に描いた伝記映画です。
リチャード・リンクレイターが監督をつとめ、イーサン・ホークがロレンツ・ハートを演じました。
第98回アカデミー賞では脚本賞と主演男優賞にノミネートされています。
- 『ブルームーン』の挿入曲
- 1943年11月18日 – 雨の中、ずぶ濡れのロレンツ・ハートが歌いながら路地を歩く
- 1943年3月 – 『オクラホマ!』初日舞台をラリー(ロレンツ・ハート)が母と観劇する
- ラリーが “サーディーズ” に入る(ピアニストが演奏する曲)
- バーテンのエディがカサブランカのワンシーンを真似る(ピアニストが演奏する曲)
- 花の配達員スヴェンが “ロレンツ・ハート” の名を知っていると言う
- ラリーがスヴェンに「この曲を知ってるか」と聞く(ラリーが歌いピアニストが弾く)
- 「この曲は?」と聞かれたスヴェンが「ラジオを聞かないから知らない」と答える(ラリーが歌いピアニストが弾く)
- モーティが「この曲は?」と演奏するとスヴェンが知っていると答え、皆が歌う
- ラリーが『オクラホマ!』の感想を求められ、ロジャースの才能がいかに素晴らしいか語る
- 「ロジャースの音楽には浮遊感がある」と熱弁する(ラリーが例に挙げて歌う)
- ラリーがエディに “唯一無二のエリザベス” がいかに魅力的か語り始める
- エリザベスが店に入ってきて、ラリーは彼女の髪型を褒め称える
- ピアニストがガーシュインの曲を演奏し始める(ラリーが『ポーギーとベス』は何度も見たと言い、「人生は芝居だ」とエディが語り始める)
- ラリーがエリザベスに見せる手品を練習する(作家E・B・ホワイトに話しかける)
- 『バイ・ジュピター』の歌詞はエリザベスのことを考えて書いたとラリーが話す
- ラリーが子供の頃に大好きだった曲を歌い出し、韻の素晴らしさを語る
- ラリーのリクエストでピアニストがコーハンの曲を演奏し、皆が声を合わせて歌う
- ラリーがホワイトにエリザベスと過ごした週末について語る
- エリザベスの肩に触れた時の出来事をラリーが話す(ロジャースらが店に現れる)
- ラリーがロジャースとハマースタインを出迎え「素晴らしい歌詞だった」と一節を歌う
- ロジャースがラリーに『コネチカット・ヤンキー』の再上演にあたり全体を改訂したいと話す
- ラリーが写真家ウィージーを呼び付け、ロジャースとの2ショット写真を撮らせる
- ラリーがロジャースに新作『マルコ・ポーロ』の構想を熱弁する
- ラリーとロジャースが『オクラホマ!』の内容をきっかけに口論となる
- 店のバーに戻ったラリーがホワイトに愚痴をこぼす
- 「児童書を書いている」というホワイトに、ラリーが家のネズミの話をする
- ラリーがレストランの2階に向かうロジャースを引き留め、出会った頃の話をする
- 「観客に迎合している」という話題でラリーとロジャースが口論になる
- エリザベスが映画監督を目指す青年ジョージ・ヒルを連れて階段を降りてくる
- ラリーがエリザベスを呼び止め二人きりになり、誕生日の出来事を聞こうとする
- ラリーがエリザベスと小部屋に移動し、誕生日の話を続ける
- ラリーが床に落としたトランプを拾いながらエリザベスへの想いをつぶやく
- 店を出る支度をするラリーが「旅立ちの曲」をリクエストする(モーティが弾く曲)
- エンドクレジット1曲目
- エンドクレジット2曲目
- 『ブルームーン』のサントラ
- 『ブルームーン』キャスト・スタッフ
『ブルームーン』の挿入曲
『ブルームーン』の挿入曲を流れた順番に紹介していきます。(ネタバレにご注意ください)
『This Funny World』を除き、全てピアニストが映画の中で演奏しているため、音源はこちらでセレクトしています。

1943年11月18日 – 雨の中、ずぶ濡れのロレンツ・ハートが歌いながら路地を歩く
エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー
| 作曲者 | トム・アデア(Tom Adair, 1913-1988) アメリカのソングライター/作曲家/脚本家。 1940年代からラジオ番組のスコアを書き続け、多くのヒット曲を生み出した。 |
| マット・デニス(Matt Dennis, 1914-2002) アメリカの歌手/ピアニスト/バンドリーダー/アレンジャー。 | |
| Original ver. | 1941年:Tommy Dorsey And His Orchestra(Vocal Refrain By Frank Sinatra) フランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915-1998) |
1943年3月 – 『オクラホマ!』初日舞台をラリー(ロレンツ・ハート)が母と観劇する
オクラホマ
| 作曲者 | Rodgers & Hammerstein |
| リチャード・ロジャース(Richard Rodgers, 1902-1979) ニューヨーク州クイーンズ出身のアメリカの作曲家。 ローレンツ・ハート、オスカー・ハマースタイン2世とのコラボレーションで数多くの名曲を生み出し、その後のポピュラー音楽に大きな影響を与えた。アメリカの4つのトップ・エンターテイメント賞(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞)全てを獲得した人物に与えられる称号「EGOT」を持つ初達成者として知られる。 | |
| オスカー・ハマースタイン2世(Oscar Hammerstein II, 1895-1960) アメリカのミュージカル作詞家/脚本家/演劇プロデューサー。 コロンビア大学で法律を学ぶが、ブロードウェイの劇場主であった父の死を機に脚本家に転向。文学作品を原作としたシリアスなプロットを持つ革新的なミュージカル作品『ショウボート』 (1927年初演) で大きな成功を収め、以降『オクラホマ!』『王様と私』『サウンド・オブ・ミュージック』など数々の名作を生み出した。現代のブロードウェイ・ミュージカルの基盤を作り上げた功労者の一人として知られる。 映画『レディ・ビー・グッド』(1941)、『ステート・フェア』(1945) の主題歌で、アカデミー作曲賞を2度受賞した。 | |
| Original ver. | 1943年:ミュージカル『オクラホマ!』 (Alfred Drake, Joan Roberts, Betty Garde, Barry Kelley & Edwin Clay) |
『Oklahoma』は、1943年初演のブロードウェイミュージカル『オクラホマ!』のミュージカルナンバーです。

ラリーが “サーディーズ” に入る(ピアニストが演奏する曲)
マンハッタン
| 作曲者 | Rodgers & Hart |
| リチャード・ロジャース(Richard Rodgers, 1902-1979) ニューヨーク州クイーンズ出身のアメリカの作曲家。 ローレンツ・ハート、オスカー・ハマースタイン2世とのコラボレーションで数多くの名曲を生み出し、その後のポピュラー音楽に大きな影響を与えた。アメリカの4つのトップ・エンターテイメント賞(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞)全てを獲得した人物に与えられる称号「EGOT」を持つ初達成者として知られる。 | |
| ロレンツ・ハート(Lorenz Hart, 1895-1943) ニューヨーク州ハーレム出身のアメリカの作詞家。 リチャード・ロジャースとの20年以上にわたるパートナーシップの中で、26本のブロードウェイミュージカルを手掛けた。これらのミュージカルから生まれたスタンダードナンバーは、時代を超えて今もなお愛され続けている。 | |
| Original ver. | 1925年:ブロードウェイ・レヴュー『The Garrick Gaieties』 ベン・セルヴァン(Ben Selvin, 1898-1980) |
『Manhattan』は、1925年初演のブロードウェイ・レヴュー『The Garrick Gaieties』のために作られたポピュラーソングです。気ままでおおらかなメロディーと独創的に韻を踏んだ歌詞が批評家から賞賛され、ロジャース&ハートはブロードウェイ初の成功をおさめました。
バーテンのエディがカサブランカのワンシーンを真似る(ピアニストが演奏する曲)
邦題『時のたつまま』
| 作曲者 | ハーマン・ハプフェルド(Herman Hupfeld, 1894-1951) アメリカのソングライター。 |
| Original ver. | 1931年:ルディ・ヴァリー(Rudy Vallée) アメリカの歌手/サックス奏者/バンドリーダー/俳優。 |
『As Time Goes By』は、1931年初演のブロードウェイミュージカル『Everybody’s Welcome』のために作られた曲です。1942年のアメリカ映画『カサブランカ』(Casablanca)で使われ、広く知られるようになりました。
花の配達員スヴェンが “ロレンツ・ハート” の名を知っていると言う
ネヴァーザレス
| 作曲者 | Kalmar and Ruby |
| ハリー・ルビー(Harry Ruby, 1895-1974) アメリカのピアニスト/作曲家/ソングライター/脚本家。 | |
| バート・カルマー(Bert Kalmar, 1884-1947) アメリカのソングライター/脚本家。 | |
| Original ver. | 1931年:Jack Denny & His Orchestra ジャック・ダニー(Jack Denny, 1895-1950)アメリカのダンスバンド・リーダー。 |
ラリーがスヴェンに「この曲を知ってるか」と聞く(ラリーが歌いピアニストが弾く)
邦題『魅せられて』
| 作曲者 | Rodgers & Hart |
| リチャード・ロジャース(Richard Rodgers, 1902-1979) ニューヨーク州クイーンズ出身のアメリカの作曲家。 ローレンツ・ハート、オスカー・ハマースタイン2世とのコラボレーションで数多くの名曲を生み出し、その後のポピュラー音楽に大きな影響を与えた。アメリカの4つのトップ・エンターテイメント賞(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞)全てを獲得した人物に与えられる称号「EGOT」を持つ初達成者として知られる。 | |
| ロレンツ・ハート(Lorenz Hart, 1895-1943) ニューヨーク州ハーレム出身のアメリカの作詞家。 リチャード・ロジャースとの20年以上にわたるパートナーシップの中で、26本のブロードウェイミュージカルを手掛けた。これらのミュージカルから生まれたスタンダードナンバーは、時代を超えて今もなお愛され続けている。 | |
| Original ver. | 1940年:ブロードウェイミュージカル『夜の豹』 ヴィヴィアン・セガール(Vivienne Segal, 1897-1992) |
『Bewitched』は、1940年初演のブロードウェイミュージカル『夜の豹』(Pal Joey)でヴィヴィアン・セガール(Vivienne Segal)によって披露されました。
「この曲は?」と聞かれたスヴェンが「ラジオを聞かないから知らない」と答える(ラリーが歌いピアニストが弾く)
マイ・ファニー・ヴァレンタイン
| 作曲者 | Rodgers & Hart |
| リチャード・ロジャース(Richard Rodgers, 1902-1979) ニューヨーク州クイーンズ出身のアメリカの作曲家。 ローレンツ・ハート、オスカー・ハマースタイン2世とのコラボレーションで数多くの名曲を生み出し、その後のポピュラー音楽に大きな影響を与えた。アメリカの4つのトップ・エンターテイメント賞(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞)全てを獲得した人物に与えられる称号「EGOT」を持つ初達成者として知られる。 | |
| ロレンツ・ハート(Lorenz Hart, 1895-1943) ニューヨーク州ハーレム出身のアメリカの作詞家。 リチャード・ロジャースとの20年以上にわたるパートナーシップの中で、26本のブロードウェイミュージカルを手掛けた。これらのミュージカルから生まれたスタンダードナンバーは、時代を超えて今もなお愛され続けている。 | |
| Original ver. | 1937年:ミッツィ・グリーン(Mitzi Green, 1920-1969) アメリカの女優/歌手。3歳の頃から子役として活動し、人気を博した。 |
『My Funny Valentine』は、1937年初演のブロードウェイミュージカル『青春一座』(原題:Babes in Arms)のために作られた曲です。子役スターのミッツィ・グリーンによって披露されました。
モーティが「この曲は?」と演奏するとスヴェンが知っていると答え、皆が歌う
ブルー・ムーン
| 作曲者 | Rodgers & Hart |
| リチャード・ロジャース(Richard Rodgers, 1902-1979) ニューヨーク州クイーンズ出身のアメリカの作曲家。 ローレンツ・ハート、オスカー・ハマースタイン2世とのコラボレーションで数多くの名曲を生み出し、その後のポピュラー音楽に大きな影響を与えた。アメリカの4つのトップ・エンターテイメント賞(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞)全てを獲得した人物に与えられる称号「EGOT」を持つ初達成者として知られる。 | |
| ロレンツ・ハート(Lorenz Hart, 1895-1943) ニューヨーク州ハーレム出身のアメリカの作詞家。 リチャード・ロジャースとの20年以上にわたるパートナーシップの中で、26本のブロードウェイミュージカルを手掛けた。これらのミュージカルから生まれたスタンダードナンバーは、時代を超えて今もなお愛され続けている。 | |
| Original ver. | 1934年:グレン・グレイ・カサ・ロマ・オーケストラ(Glen Gray and The Casa Loma Orchestra – Vocal Chorus by Kenny Sargent) |
『Blue Moon』は、1934年に発表されたポピュラーソングです。フランク・シナトラ、ビリー・ホリデイ、エルヴィス・プレスリーなど沢山のアーティストにカバーされ、スタンダードナンバーになりました。
マンチェスターに拠点を置くプロサッカークラブ「マンチェスター・シティFC」のチャントとしても知られています。
この後「店を出る支度をするラリーが「旅立ちの曲」をリクエストする(モーティが弾く曲)」でもこの曲が使われています。
ラリーが『オクラホマ!』の感想を求められ、ロジャースの才能がいかに素晴らしいか語る
ルック・フォー・ザ・シルヴァー・ライニング
邦題『幸福を求めて』
| 作曲者 | ジェローム・カーン(Jerome Kern, 1885-1945) ニューヨーク出身のユダヤ系アメリカ人作曲家。 ミュージカル史における金字塔的作品『ショウボート』(1927年初演) の作者として知られ、「近代ミュージカルの父」(The Father Of American Musical Theater)と呼ばれる。 映画『有頂天時代』(1936)、『レディ・ビー・グッド』(1941) の音楽を担当し、アカデミー歌曲賞を2度受賞した。 |
| バディ・G・デシルバ(Buddy G. DeSylva, 1895-1950) アメリカのソングライター/映画プロデューサー。キャピトル・レコードの創設者の一人。 | |
| Original ver. | 1919年:マリリン・ミラー(Marilyn Miller, 1898-1936) アメリカの女優/歌手/タップダンサー。1920年代から1930年代初頭にかけて最も人気のあるブロードウェイミュージカルスターの一人として活躍した。 |
『Look for the Silver Lining』は、ミュージカル『Zip! Goes a Million』(1919) のために作られたポピュラーソングです。翌年、ミュージカル『サリー』(Sally)で取り上げられ大ヒットしました。
また、ジェローム・カーンを主役とした1946年の伝記映画『雲流るるはてに』(Till the Clouds Roll By)では、 マリリン・ミラー役のジュディ・ガーランドが歌う劇中歌として再び 取り上げられ、より広く知られるようになりました。
「ロジャースの音楽には浮遊感がある」と熱弁する(ラリーが例に挙げて歌う)
邦題『美しい朝』
| 作曲者 | Rodgers & Hammerstein |
| リチャード・ロジャース(Richard Rodgers, 1902-1979) ニューヨーク州クイーンズ出身のアメリカの作曲家。 ローレンツ・ハート、オスカー・ハマースタイン2世とのコラボレーションで数多くの名曲を生み出し、その後のポピュラー音楽に大きな影響を与えた。アメリカの4つのトップ・エンターテイメント賞(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞)全てを獲得した人物に与えられる称号「EGOT」を持つ初達成者として知られる。 | |
| オスカー・ハマースタイン2世(Oscar Hammerstein II, 1895-1960) アメリカのミュージカル作詞家/脚本家/演劇プロデューサー。 コロンビア大学で法律を学ぶが、ブロードウェイの劇場主であった父の死を機に脚本家に転向。文学作品を原作としたシリアスなプロットを持つ革新的なミュージカル作品『ショウボート』 (1927年初演) で大きな成功を収め、以降『オクラホマ!』『王様と私』『サウンド・オブ・ミュージック』など数々の名作を生み出した。現代のブロードウェイ・ミュージカルの基盤を作り上げた功労者の一人として知られる。 映画『レディ・ビー・グッド』(1941)、『ステート・フェア』(1945) の主題歌で、アカデミー作曲賞を2度受賞した。 | |
| Original ver. | 1943年:ミュージカル『オクラホマ!』 アルフレッド・ドレイク(Alfred Drake, 1914-1992) |
『Oh, What a Beautiful Mornin’』は、1943年初演のブロードウェイミュージカル『オクラホマ!』(Oklahoma!)のミュージカルナンバーです。
ラリーがエディに “唯一無二のエリザベス” がいかに魅力的か語り始める
邦題『恋のチャンスを』
| 作曲者 | ヴァーノン・デューク(Vernon Duke, 1903-1969) ロシア生まれのアメリカの作曲家/詩人。 キエフ音楽院で作曲/音楽理論を学び、1921年に内戦を逃れて渡米。ジョニー・マーサー、サミー・カーン等とのコラボでブロードウェイを中心に活躍した。また、その間も本名のウラディミール・デュケルスキー名義で交響曲やチェロ協奏曲を作曲し、ロシア語の詩などを書き続けた。 |
| テッド・フェッター(Ted Fetter, 1906-1996) アメリカのソングライター/テレビプロデューサー。 | |
| ジョン・ラタッチ(John Latouche, 1914-1956) アメリカの作詞家/ブックライター。 | |
| Original ver. | 1940年:ミュージカル『キャビン・イン・ザ・スカイ』 エセル・ウォーターズ(Ethel Waters, 1896-1977) |
『Taking a Chance on Love』は、1940年のブロードウェイミュージカル『キャビン・イン・ザ・スカイ』(Cabin in the Sky)のために作られたポピュラー・ソングです。
エリザベスが店に入ってきて、ラリーは彼女の髪型を褒め称える
スターダスト
| 作曲者 | ホーギー・カーマイケル(Hoagy Carmichael, 1899-1981) アメリカの作曲家/歌手/ピアニスト/バンドリーダー。 代表曲『スターダスト』『我が心のジョージア』 |
| ミッチェル・パリッシュ(Mitchell Parish, 1900-1993) ロシア帝国統治下のリトアニア出身のアメリカの作詞家。ティン・パン・アレーの作詞家として活躍した。 代表作『スターダスト』『ムーンライト・セレナーデ』 | |
| Original ver. | 1928年:ホーギー・カーマイケル |
『Stardust』は、1927年に作られたインストゥルメンタル曲です。レコード会社の意向で1929年に歌詞がつけられました。
昔の恋人との思い出を星屑(stardust)に例えた歌詞から「失恋ソング」といわれています。
ピアニストがガーシュインの曲を演奏し始める(ラリーが『ポーギーとベス』は何度も見たと言い、「人生は芝居だ」とエディが語り始める)
邦題『なんでもそうとは限らない』
| 作曲者 | ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin, 1898-1937) アメリカの作曲家,ピアニスト。 『ラプソディ・イン・ブルー』(1924)、『パリのアメリカ人』(1928)、『ポーギーとベス』(1935) などジャズとクラシックを融合させた作品で世界的に高い評価を受け、20世紀を代表する作曲家としての地位を確立。また、作詞家となった兄アイラとのコンピで数多くのスタンダード・ナンバーを世に送り出し、ポピュラー音楽界においても多大な功績を残した。 |
| アイラ・ガーシュウィン(Ira Gershwin, 1896-1983) アメリカの作詞家。ジョージ・ガーシュウィンの兄。 1924年から弟ジョージとソングライティング・チームを組み、20世紀を代表する数多くの名曲を残した。 | |
| Dubose & Dorothy Heyward デュポーズ・ヘイワード(Du Bose Heyward)とドロシー・ヘイワード(Dorothy Heyward)の夫婦によるアメリカの作家デュオ。 | |
| Original ver. | 1935年:オペラ『ポーギーとベス』 ジョン・バブルス(John W. Bubbles, 1902-1986) |
『It Ain’t Necessarily So』は、1935年のオペラ『ポーギーとベス』(Porgy and Bess)のために作られました。
ラリーがエリザベスに見せる手品を練習する(作家E・B・ホワイトに話しかける)
邦題『時さえ忘れて』
| 作曲者 | Rodgers & Hart |
| リチャード・ロジャース(Richard Rodgers, 1902-1979) ニューヨーク州クイーンズ出身のアメリカの作曲家。 ローレンツ・ハート、オスカー・ハマースタイン2世とのコラボレーションで数多くの名曲を生み出し、その後のポピュラー音楽に大きな影響を与えた。アメリカの4つのトップ・エンターテイメント賞(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞)全てを獲得した人物に与えられる称号「EGOT」を持つ初達成者として知られる。 | |
| ロレンツ・ハート(Lorenz Hart, 1895-1943) ニューヨーク州ハーレム出身のアメリカの作詞家。 リチャード・ロジャースとの20年以上にわたるパートナーシップの中で、26本のブロードウェイミュージカルを手掛けた。これらのミュージカルから生まれたスタンダードナンバーは、時代を超えて今もなお愛され続けている。 | |
| Original ver. | 1939年:ブロードウェイミュージカル『Too Many Girls』 マーシー・ウェストコット(Marcy Westcott, 1918-1996) リチャード・コルマー(Richard Kollmar, 1910-1971) |
『I Didn’t Know What Time It Was』は、1939年初演のブロードウェイミュージカル『トゥー・メニー・ガールズ』(Too Many Girls)のために作られました。
1957年のミュージカル映画『夜の豹』(原題:Pal Joey)でフランク・シナトラの劇中歌としてとりあげられ、広く知られるようになりました。
『バイ・ジュピター』の歌詞はエリザベスのことを考えて書いたとラリーが話す
邦題『魅せられて』
| 作曲者 | Rodgers & Hart |
| リチャード・ロジャース(Richard Rodgers, 1902-1979) ニューヨーク州クイーンズ出身のアメリカの作曲家。 ローレンツ・ハート、オスカー・ハマースタイン2世とのコラボレーションで数多くの名曲を生み出し、その後のポピュラー音楽に大きな影響を与えた。アメリカの4つのトップ・エンターテイメント賞(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞)全てを獲得した人物に与えられる称号「EGOT」を持つ初達成者として知られる。 | |
| ロレンツ・ハート(Lorenz Hart, 1895-1943) ニューヨーク州ハーレム出身のアメリカの作詞家。 リチャード・ロジャースとの20年以上にわたるパートナーシップの中で、26本のブロードウェイミュージカルを手掛けた。これらのミュージカルから生まれたスタンダードナンバーは、時代を超えて今もなお愛され続けている。 | |
| Original ver. | 1940年:ブロードウェイミュージカル『夜の豹』 ヴィヴィアン・セガール(Vivienne Segal, 1897-1992) |
『Bewitched』は、1940年初演のブロードウェイミュージカル『夜の豹』(Pal Joey)でヴィヴィアン・セガール(Vivienne Segal)によって披露されました。
ラリーが子供の頃に大好きだった曲を歌い出し、韻の素晴らしさを語る
ギヴ・マイ・リガーズ・トゥ・ブロードウェイ
邦題『ブロードウェイへの憧れ』
| 作曲者 | ジョージ・M・コーハン(George M. Cohan, 1878-1942) アメリカのエンターテイナー/劇作家/作曲家/俳優/歌手/ダンサー/演劇プロデューサー。「ブロードウェイ・ミュージカルの父」と呼ばれる。 |
| Original ver. | 1904年:ミュージカル『リトル・ジョニー・ジョーンズ』 |
『Give My Regards to Broadway』は、1904年初演のブロードウェイミュージカル『リトル・ジョニー・ジョーンズ』(Little Johnny Jones)のために作られました。
ラリーのリクエストでピアニストがコーハンの曲を演奏し、皆が声を合わせて歌う
オーヴァー・ゼア
| 作曲者 | ジョージ・M・コーハン(George M. Cohan, 1878-1942) アメリカのエンターテイナー/劇作家/作曲家/俳優/歌手/ダンサー/演劇プロデューサー。「ブロードウェイ・ミュージカルの父」と呼ばれる。 |
| Original ver. | 1917年:ピアレス・カルテット(Peerless Quartette) |
『Over There』は、アメリカが第一次世界大戦に参戦した1917年に作られた愛国歌です。第一次世界大戦や第二次世界大戦でもアメリカ軍人に軍歌のように歌われました。
作曲したジョージ・M・コーハンは、 “戦時中に愛国的な歌を作り普及させることを通して、アメリカの音楽文化に貢献した” として、1940年にフランクリン・ルーズベルト大統領から議会名誉黄金勲章を授与されました。
議会名誉黄金勲章の芸術分野での受賞はこれが初めてでした。
ラリーがホワイトにエリザベスと過ごした週末について語る
フールズ・ラッシュ・イン
邦題『恋は愚かというけれど』
| 作曲者 | ジョニー・マーサー(Johnny Mercer, 1909-1976) クロアチア/アイルランド系アメリカ人作詞者。 キャピトル・レコードの共同創設者の一人。映画『ハーヴェイ・ガールズ』(1946)、『花婿来たる』(1951)、『ティファニーで朝食を』(1961)、『酒とバラの日々』(1962) の劇中歌の作詞を手掛け、アカデミー歌曲賞を4回受賞した。 |
| ルーブ・ブルーム(Rube Bloom, 1902-1976) ニューヨーク出身のユダヤ系アメリカ人ソングライター/ピアニスト/レンジャー/バンドリーダー/レコーディングアーティスト/ボーカリスト/作家。 | |
| Original ver. | 1940年:ボブ・クロスビー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Bob Crosby and His Orchestra) |
エリザベスの肩に触れた時の出来事をラリーが話す(ロジャースらが店に現れる)
ア・ファイン・ロマンス
| 作曲者 | ジェローム・カーン(Jerome Kern, 1885-1945) ニューヨーク出身のユダヤ系アメリカ人作曲家。 ミュージカル史における金字塔的作品『ショウボート』(1927年初演) の作者として知られ、「近代ミュージカルの父」(The Father Of American Musical Theater)と呼ばれる。 映画『有頂天時代』(1936)、『レディ・ビー・グッド』(1941) の音楽を担当し、アカデミー歌曲賞を2度受賞した。 |
| ドロシー・フィールズ(Dorothy Fields, 1904-1974) アメリカの台本作家/作詞家。 1920年代後半に、ジミー・マクヒュー(Jimmy McHugh)とのデュオでコットンクラブのレヴューのための曲を数多く作り、その後映画やミュージカルの分野に進出し台本作家としても活躍した。ティンパン・アレイ、ハリウッドで最初に成功した女性ソングライターの一人として知られる。映画『有頂天時代』(1936) でアカデミー歌曲賞を受賞した。 | |
| Original ver. | 1936年:フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャース(Fred Astaire & Ginger Rogers) |
『The Way You Look Tonight』は、1936年のミュージカルコメディ映画『有頂天時代』(原題:Swing Time)で披露されました。
ラリーがロジャースとハマースタインを出迎え「素晴らしい歌詞だった」と一節を歌う
邦題『ノーと言えずに』
| 作曲者 | Rodgers & Hammerstein |
| リチャード・ロジャース(Richard Rodgers, 1902-1979) ニューヨーク州クイーンズ出身のアメリカの作曲家。 ローレンツ・ハート、オスカー・ハマースタイン2世とのコラボレーションで数多くの名曲を生み出し、その後のポピュラー音楽に大きな影響を与えた。アメリカの4つのトップ・エンターテイメント賞(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞)全てを獲得した人物に与えられる称号「EGOT」を持つ初達成者として知られる。 | |
| オスカー・ハマースタイン2世(Oscar Hammerstein II, 1895-1960) アメリカのミュージカル作詞家/脚本家/演劇プロデューサー。 コロンビア大学で法律を学ぶが、ブロードウェイの劇場主であった父の死を機に脚本家に転向。文学作品を原作としたシリアスなプロットを持つ革新的なミュージカル作品『ショウボート』 (1927年初演) で大きな成功を収め、以降『オクラホマ!』『王様と私』『サウンド・オブ・ミュージック』など数々の名作を生み出した。現代のブロードウェイ・ミュージカルの基盤を作り上げた功労者の一人として知られる。 映画『レディ・ビー・グッド』(1941)、『ステート・フェア』(1945) の主題歌で、アカデミー作曲賞を2度受賞した。 | |
| Original ver. | 1943年:ミュージカル『オクラホマ!』 (Alfred Drake, Joan Roberts & Betty Garde) |
『I Cain’t Say No』は、1943年初演のブロードウェイミュージカル『オクラホマ!』(Oklahoma!)のミュージカルナンバーです。
ロジャースがラリーに『コネチカット・ヤンキー』の再上演にあたり全体を改訂したいと話す
| 作曲者 | バディ・ビューイ(Buddy Buie, 1941-2015) アメリカのソングライター/プロデューサー。 |
| アル・ルイス(Al Lewis, 1901-1967) アメリカの作詞家/ソングライター。 | |
| オル・シャーマン(Al Sherman, 1897-1973) アメリカの作曲家/作詞家。 | |
| 作曲年 | 1933年 |
『You Gotta Be a Football Hero』は、アメリカンフットボールのアンセムとして知られています。
ラリーが写真家ウィージーを呼び付け、ロジャースとの2ショット写真を撮らせる
アイム・オールド・ファッションド
| 作曲者 | ジェローム・カーン(Jerome Kern, 1885-1945) ニューヨーク出身のユダヤ系アメリカ人作曲家。 ミュージカル史における金字塔的作品『ショウボート』(1927年初演) の作者として知られ、「近代ミュージカルの父」(The Father Of American Musical Theater)と呼ばれる。 映画『有頂天時代』(1936)、『レディ・ビー・グッド』(1941) の音楽を担当し、アカデミー歌曲賞を2度受賞した。 |
| ジョニー・マーサー(Johnny Mercer, 1909-1976) クロアチア/アイルランド系アメリカ人作詞者。 キャピトル・レコードの共同創設者の一人。映画『ハーヴェイ・ガールズ』(1946)、『花婿来たる』(1951)、『ティファニーで朝食を』(1961)、『酒とバラの日々』(1962) の劇中歌の作詞を手掛け、アカデミー歌曲賞を4回受賞した。 | |
| Original ver. | 1942年:フレッド・アステア&リタ・ヘイワース(Fred Astaire & Rita Hayworth) |
『I’m Old Fashioned』は、1942年のロマンティックコメディミュージカル映画『You Were Never Lovelier』のために作られた曲です。
ラリーがロジャースに新作『マルコ・ポーロ』の構想を熱弁する
ブルー・スカイ
| 作曲者 | アーヴィング・バーリン(Irving Berlin, 1888-1989) ベラルーシ出身のユダヤ系アメリカ人作曲家/作詞家。 映画『スイング・ホテル』(1942) の劇中歌『ホワイト・クリスマス』を書き、アカデミー歌曲賞を受賞した。 |
| Original ver. | 1926年: ミュージカル『ベッツィ』 ベル・ベイカー(Belle Baker, 1893-1957) |
『ブルー・スカイ』(Blue Skies)は、1926年初演のミュージカル『ベッツィ』(Betsy)のために作られた曲です。
その後、1954年のミュージカル映画『ホワイト・クリスマス』(White Christmas)や、2002年のSF映画『ネメシス/S.T.X』など多くの映画で使われています。
ラリーとロジャースが『オクラホマ!』の内容をきっかけに口論となる
邦題『いつかどこかで』
| 作曲者 | Rodgers & Hart |
| リチャード・ロジャース(Richard Rodgers, 1902-1979) ニューヨーク州クイーンズ出身のアメリカの作曲家。 ローレンツ・ハート、オスカー・ハマースタイン2世とのコラボレーションで数多くの名曲を生み出し、その後のポピュラー音楽に大きな影響を与えた。アメリカの4つのトップ・エンターテイメント賞(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞)全てを獲得した人物に与えられる称号「EGOT」を持つ初達成者として知られる。 | |
| ロレンツ・ハート(Lorenz Hart, 1895-1943) ニューヨーク州ハーレム出身のアメリカの作詞家。 リチャード・ロジャースとの20年以上にわたるパートナーシップの中で、26本のブロードウェイミュージカルを手掛けた。これらのミュージカルから生まれたスタンダードナンバーは、時代を超えて今もなお愛され続けている。 | |
| Original ver. | 1937年:ブロードウェイ・ミュージカル『青春一座』 ミッツィ・グリーン(Mitzi Green, 1920-1969) レイ・ヘザートン(Ray Heatherton, 1909-1997) |
『Where Or When』は、1937年初演のブロードウェイ・ミュージカル『青春一座』(原題:Babes in Arms)で主演のミッツィ・グリーン(Mitzi Green)とレイ・ヘザートン(Ray Heatherton)によって披露された曲です。
店のバーに戻ったラリーがホワイトに愚痴をこぼす
邦題『もしあなただったら』
| 作曲者 | アイシャム・ジョーンズ(Isham Jones, 1894-1956) アメリカのバンドリーダー/サックス奏者/ソングライター。 |
| ガス・カーン(Gus Kahn, 1886-1941) ドイツ生まれのアメリカの作詞家。 | |
| Original ver. | 1924年:ザ・アンバサダーズ(The Ambassadors) アメリカのダンスバンド。 |
「児童書を書いている」というホワイトに、ラリーが家のネズミの話をする
邦題『言い出しかねて』
| 作曲者 | ヴァーノン・デューク(Vernon Duke, 1903-1969) ロシア生まれのアメリカの作曲家/詩人。 キエフ音楽院で作曲/音楽理論を学び、1921年に内戦を逃れて渡米。ジョニー・マーサー、サミー・カーン等とのコラボでブロードウェイを中心に活躍した。また、その間も本名のウラディミール・デュケルスキー名義で交響曲やチェロ協奏曲を作曲し、ロシア語の詩などを書き続けた。 |
| アイラ・ガーシュウィン(Ira Gershwin, 1896-1983) アメリカの作詞家。ジョージ・ガーシュウィンの兄。 1924年から弟ジョージとソングライティング・チームを組み、20世紀を代表する数多くの名曲を残した。 | |
| Original ver. | 1936年:ミュージックレビュー『ジーグフェルド・フォリーズ(1936)』 ボブ・ホープ(Bob Hope, 1903-2003) |
『I Can’t Get Started』は、1936年にミュージックレビュー『ジーグフェルド・フォリーズ(1936)』(Ziegfeld Follies of 1936.)で披露されました。
ラリーがレストランの2階に向かうロジャースを引き留め、出会った頃の話をする
邦題『手紙でも書こう』
| 作曲者 | ジョー・ヤング(Joe Young, 1889-1939) アメリカの作詞家。様々な音楽出版社の歌手/ソングプロモーターとしてキャリアをスタートさせ、後に作詞家として成功を収めた。 |
| フレッド・アーラート(Fred Ahlert, 1892-1953) アメリカの作曲家/ソングライター。 | |
| Original ver. | 1935年:ファッツ・ウォーラー(Fats Waller, 1904-1943) アメリカのジャズピアニスト/オルガン奏者/歌手/作曲家/作詞家。アメリカ・ヨーロッパをツアーでまわり国際的な成功を収めた。 |
「観客に迎合している」という話題でラリーとロジャースが口論になる
エヴリシング・ハプンズ・トゥ・ミー
| 作曲者 | トム・アデア(Tom Adair, 1913-1988) アメリカのソングライター/作曲家/脚本家。 1940年代からラジオ番組のスコアを書き続け、多くのヒット曲を生み出した。 |
| マット・デニス(Matt Dennis, 1914-2002) アメリカの歌手/ピアニスト/バンドリーダー/アレンジャー。 | |
| Original ver. | 1941年:Tommy Dorsey And His Orchestra(Vocal Refrain By Frank Sinatra) フランク・シナトラ(Frank Sinatra, 1915-1998) |
エリザベスが映画監督を目指す青年ジョージ・ヒルを連れて階段を降りてくる
(ラリーが「恋愛ものより友情物語がいい」とジョージ・ヒルにアドバイスするシーン)
邦題『今宵の君は』
| 作曲者 | ジェローム・カーン(Jerome Kern, 1885-1945) ニューヨーク出身のユダヤ系アメリカ人作曲家。 ミュージカル史における金字塔的作品『ショウボート』(1927年初演) の作者として知られ、「近代ミュージカルの父」(The Father Of American Musical Theater)と呼ばれる。 映画『有頂天時代』(1936)、『レディ・ビー・グッド』(1941) の音楽を担当し、アカデミー歌曲賞を2度受賞した。 |
| ドロシー・フィールズ(Dorothy Fields, 1904-1974) アメリカの台本作家/作詞家。 1920年代後半に、ジミー・マクヒュー(Jimmy McHugh)とのデュオでコットンクラブのレヴューのための曲を数多く作り、その後映画やミュージカルの分野に進出し台本作家としても活躍した。ティンパン・アレイ、ハリウッドで最初に成功した女性ソングライターの一人として知られる。映画『有頂天時代』(1936) でアカデミー歌曲賞を受賞した。 | |
| Original ver. | 1936年:フレッド・アステア(Fred Astaire, 1899-1987) ネブラスカ州オマハ出身のアメリカの俳優/ダンサー/歌手。 |
『The Way You Look Tonight』は、1936年のミュージカルコメディ映画『有頂天時代』(原題:Swing Time)でフレッド・アステアによって披露された曲です。
ジェローム・カーンとドロシー・フィールズは、この曲でアカデミー歌曲賞を受賞しました。
ラリーがエリザベスを呼び止め二人きりになり、誕生日の出来事を聞こうとする
ヒア・イン・マイ・アームズ
| 作曲者 | Rodgers & Hart |
| リチャード・ロジャース(Richard Rodgers, 1902-1979) ニューヨーク州クイーンズ出身のアメリカの作曲家。 ローレンツ・ハート、オスカー・ハマースタイン2世とのコラボレーションで数多くの名曲を生み出し、その後のポピュラー音楽に大きな影響を与えた。アメリカの4つのトップ・エンターテイメント賞(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞)全てを獲得した人物に与えられる称号「EGOT」を持つ初達成者として知られる。 | |
| ロレンツ・ハート(Lorenz Hart, 1895-1943) ニューヨーク州ハーレム出身のアメリカの作詞家。 リチャード・ロジャースとの20年以上にわたるパートナーシップの中で、26本のブロードウェイミュージカルを手掛けた。これらのミュージカルから生まれたスタンダードナンバーは、時代を超えて今もなお愛され続けている。 | |
| Original ver. | 1925年:ミュージカル『最愛の敵』 ヘレン・フォード(Helen Ford, 1894-1982) チャールズ・パーセル(Charles Purcell, 1885-1962) |
『Here in My Arms』は、1925年に発表されたポピュラーソングです。
ブロードウェイミュージカル『最愛の敵』(原題:Dearest Enemy)で披露されました。
ラリーがエリザベスと小部屋に移動し、誕生日の話を続ける
オー・ユー・ビューティフル・ドール
| 作曲者 | ナット・エイヤー(Nat Ayer, 1887-1952) イギリスで活躍したアメリカの作曲家/歌手。 |
| シーモア・ブラウン(Seymour Brown, 1885-1947) ペンシルバニア州フィラデルフィア生まれのソングライター。 | |
| Original ver. | 1911年:ビリー・マーレイ & アメリカンカルテット(Billy Murray and American Quartet with Orchestra) |
『Oh, You Beautiful Doll』は、1911年に出版されたラグタイムのラブソングです。
ラリーが床に落としたトランプを拾いながらエリザベスへの想いをつぶやく
オールウェイズ
| 作曲者 | アーヴィング・バーリン(Irving Berlin, 1888-1989) ベラルーシ出身のユダヤ系アメリカ人作曲家/作詞家。 映画『スイング・ホテル』(1942) の劇中歌『ホワイト・クリスマス』を書き、アカデミー歌曲賞を受賞した。 代表曲『ホワイト・クリスマス』『ゴッド・ブレス・アメリカ』 |
| Original ver. | 1926年:アーヴィング・カウフマン(Irving Kaufman, 1890-1976) アメリカの歌手/レコーディングアーティスト/ヴォードヴィルパフォーマー。 |
店を出る支度をするラリーが「旅立ちの曲」をリクエストする(モーティが弾く曲)
ブルー・ムーン
| 作曲者 | Rodgers & Hart |
| リチャード・ロジャース(Richard Rodgers, 1902-1979) ニューヨーク州クイーンズ出身のアメリカの作曲家。 ローレンツ・ハート、オスカー・ハマースタイン2世とのコラボレーションで数多くの名曲を生み出し、その後のポピュラー音楽に大きな影響を与えた。アメリカの4つのトップ・エンターテイメント賞(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞)全てを獲得した人物に与えられる称号「EGOT」を持つ初達成者として知られる。 | |
| ロレンツ・ハート(Lorenz Hart, 1895-1943) ニューヨーク州ハーレム出身のアメリカの作詞家。 リチャード・ロジャースとの20年以上にわたるパートナーシップの中で、26本のブロードウェイミュージカルを手掛けた。これらのミュージカルから生まれたスタンダードナンバーは、時代を超えて今もなお愛され続けている。 | |
| Original ver. | 1934年:グレン・グレイ・カサ・ロマ・オーケストラ(Glen Gray and The Casa Loma Orchestra – Vocal Chorus by Kenny Sargent) |
「モーティが「この曲は?」と演奏するとスヴェンが知っていると答え、皆が歌う」でもこの曲が使われていました。
エンドクレジット1曲目
ジス・ファニー・ワールド
| Artist cover ver. | トニー・ベネット(Tony Bennett, 1926-2023) イタリア系アメリカ人歌手/俳優。約70年にわたりアメリカのポピュラー・ミュージックを代表する存在として活躍し、グラミー賞を20回、エミー賞を2回受賞。レディー・ガガとの二枚目のコラボレーションアルバム『Love for Sale』が2021年にリリースされ、史上最高齢(95歳と60日)で新作アルバムをリリースしたことがギネス世界記録に認定され話題となった。 |
| リリース | 1975年 |
| 作曲者 | Rodgers & Hart |
| リチャード・ロジャース(Richard Rodgers, 1902-1979) ニューヨーク州クイーンズ出身のアメリカの作曲家。 ローレンツ・ハート、オスカー・ハマースタイン2世とのコラボレーションで数多くの名曲を生み出し、その後のポピュラー音楽に大きな影響を与えた。アメリカの4つのトップ・エンターテイメント賞(エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞/オスカー、トニー賞)全てを獲得した人物に与えられる称号「EGOT」を持つ初達成者として知られる。 | |
| ロレンツ・ハート(Lorenz Hart, 1895-1943) ニューヨーク州ハーレム出身のアメリカの作詞家。 リチャード・ロジャースとの20年以上にわたるパートナーシップの中で、26本のブロードウェイミュージカルを手掛けた。これらのミュージカルから生まれたスタンダードナンバーは、時代を超えて今もなお愛され続けている。 | |
| Original ver. | 1926年:ベル・ベイカー(Belle Baker, 1893-1957) ユダヤ系アメリカ人の歌手/女優。 |
エンドクレジット2曲目
邦題『頬よせて』
| 作曲者 | アーヴィング・バーリン(Irving Berlin, 1888-1989) ベラルーシ出身のユダヤ系アメリカ人作曲家/作詞家。 映画『スイング・ホテル』(1942) の劇中歌『ホワイト・クリスマス』を書き、アカデミー歌曲賞を受賞した。 代表曲『ホワイト・クリスマス』『ゴッド・ブレス・アメリカ』 |
| Original ver. | 1935年: フレッド・アステア(Fred Astaire, 1899-1987) ネブラスカ州オマハ出身のアメリカの俳優/ダンサー/歌手。 |
『Cheek to Cheek』は、1935年のミュージカル映画『トップ・ハット』(Top Hat)のために作られた曲です。主演をつとめたハリウッド史上最高のダンシング・コンビ「フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャース」によるダンスシーンで披露されました。
『ブルームーン』のサントラ
『ブルームーン』はグレアム・レイノルズ(Graham Reynolds)が音楽を担当しました。
グレアム・レイノルズは、アメリカ・テキサス州オースティンで活動しているミュージシャン/作曲家です。『バーナデット ママは行方不明』など最新のリチャード・リンクレイター監督作品でも音楽を担当しています。
※サントラ収録曲
1. This Funny World
2. Bewitched, Bothered and Bewildered
3. Blue Moon
4. Everything Happens to Me
5. He Loves and She Loves
6. A Good Teacher
7. Here in My Arms
8. I Can’t Get Started
9. I Get a Kick Out of You
10. I Gotta Right to Sing the Blues
11. I Guess I’ll Have To Change My Plan
12. Imagination
13. I’m in the Mood for Love
14. I’m Old Fashioned
15. Grateful for You
16. In the Still of the Night
17. You Are My Lucky Star
18. Polka Dots and Moonbeams
19. Tell Me About the Guys
20. Stardust
『ブルームーン』キャスト・スタッフ
| 監督 | リチャード・リンクレイター(Richard Linklater) |
| 脚本 | ロバート・カプロウ(Robert Kaplow) |
| 製作 | マイク・ブリザード(Mike Blizzard) |
| ジョン・スロス(John Sloss) | |
| リチャード・リンクレイター(Richard Linklater) | |
| 音楽 | グレアム・レイノルズ(Graham Reynolds) |
| 配給 | ロングライド |
| 公開 | 2025年10月17日 |
| 2025年10月17日 | |
| 上映時間 | 100分 |
ロレンツ(ラリー)・ハート:イーサン・ホーク(Ethan Hawke)
エリザベス・ワイランド:マーガレット・クアリー(Margaret Qualley)
エディ:ボビー・カナベイル(Bobby Cannavale)
リチャード・ロジャース:アンドリュー・スコット(Andrew Scott)
E・B・ホワイト:パトリック・ケネディ(Patrick Kennedy)
モーティ・リフキン:ジョナ・リース(Jonah Lees)
オスカー・ハマースタイン2世:サイモン・デラニー(Simon Delaney)
スティーヴン・ソンドハイム:キリアン・サリヴァン(Cillian Sullivan)
ウィージー:ジョン・ドラン(John Doran)
ジョージ・ロイ・ヒル:デヴィッド・ロウル(David Rawle)
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